2023/12/17

ここ最近、脳が停止していた。実際はそんなことなくて憂鬱な気分が続いたりいたが比較的平穏というか、時間が歪んで現実逃避が上手く成功している状態が継続していた。虚無の生活が続き、今日が何曜日なのか、何日なのか、何年なのかもわからぬまま思考が止まっていると楽で良い(そんなわけない)。そんなこんなで気が付いたら大幅に時間が空いてしまった。

 

これは高校を中退した頃の話なんだけど、当時はインターネットで″そういう人″を見たりもせずに全て自分の脳内だけで済ませていた。中3で完全に不登校になってからは病院に通わされていたが自分が鬱病なはずないと思っていて、この感覚は今もあんまり変わらない。薬を飲んでも根本の問題は解決しないので特別何か改善した感覚はなかったし、病院に通わせてきた母親は「あなたは鬱病ではない」言ってくるのでダブルバインドで自分の状態が全くわからなかった。おまけに自費で病院代を払っていて、お小遣いやお年玉なんてもらってないのに毎度用意するには痛い出費で苦しんだりで、気が付いたら通うのをやめていた。

 

その後、数年の記憶は曖昧で、今のようにインターネットを見るようになるまでの1.2年間はひたすら現実逃避。冒頭で書いた脳が停止した状態を維持するのに必死だった。実際やったことはとてもしょうもなくて、家にいたくないので、ほぼ毎日往復1時間自転車を漕いで朝から晩までゲーセンで遊んだり、カラオケで時間を潰したり、たまに引きこもったりもした。元から体力はあった方らしく毎日動いてても大丈夫だったし、何より家でじっとしていると狂ってしまうのでひたすら負の感情を燃料に動いた。一応、本来高校を卒業する年齢までに高卒認定は取得したがこれもやる気がなく3日前に勉強始めるとかだった。人生で最も無な期間で記憶もほぼないが、その後は順当に狂っていったし、現実逃避もままならないのでギリギリ持ち堪えていた状態だったらしい。こういうことしかしてきてないから現実逃避(をしている自分)が嫌い。この頃とその後じゃ全く別の人間のように感じる。

 

脳が求めている刺激を与えるのは好きじゃない。人間みんな脳の電流に反応する装置みたいで気持ち悪い。インターネットや音楽は脳に弱電流を流すみたいな感覚で、人間関係はランダムに電流が流れて痛い思いをすることもあるけどランダム性があるから惹かれてしまうのかもしれない。これら全てを否定してしまうと何もできないし、今もこうしてインターネットをしている。現実を忘れるためには脳に強い刺激を与えるのも一つの手だが、弱い刺激を与え続けて感覚を麻痺させるのが確実で。別に現実を忘れたいとかではないんだけど、最近はそれすらままならなくて困ることもある。何をするにも飽きがくるし、それは脳への刺激も同じ。

 

かわいいを摂取するのが一番楽に脳を喜ばせられる。ここで言うかわいいは容姿が優れているとされる人間のことではなくて、主に内面のこと。人間の顔面見て脳が喜ぶかと言われるとそんなことないので私は。ぬいぐるみとかロリータとかそういうのもいいけどそういうのはなんだかんだ疲れるし脳が求めていないときもある。インターネットで発言が好きな人見るのが一番脳に優しい。偶像性。性別とか多分どうでもいいけど私の価値観的に性別謎な人間をかわいいと感じることが多い。そんなこんなで今日もインターネット。最近図だと脳が文章を書くモードにならなくて何書いてるのか自分でもあまりわかってないけど、そういう時の方が文章ぐちゃぐちゃでも素に近い状態の何かをかけている気がする。

2023/12/05

全ての文章は虚構へ向けて発信するべきなんだよな、と思いつつ今回はある程度対話形式で文章を書く義務を感じた。貴方がどういう心情で文章を綴ったのかはわからないが、浅い人生経験(笑)のなかでも色々と思うところや感じたことが多かったので自分の価値観を述べる。多分求めているものではないし、読んで後悔させてしまうかもしれないが対等に対話するには打ち明けるしかないので。

 

インターネットを現実の延長としてではなく、完全別世界として捉えている。わざわざこうして文章を書いているので多分これは嘘なんだけど、必ずしもインターネットを現実の延長でやる必要はないと思っているのは本心で、インターネットは″そういうコンテンツ″として楽しんでいる。

(元々はそうだったのに時代の移り変わりで変化しただけらしい。今と昔を比較して「昔のほうが〜」と言いたいわけではなく、現代の価値観としてインターネットは現実の延長として存在していて、それは正しい。だけど、私の中のインターネットはインターネットだ。)

 

 

昔の私は強くなりたかった気がする。勿論、強さというのは物理的にではなく精神面のこと。当時の私は弱かった、今なんかよりもずっとずっと。強さとは何かと問われると言葉に詰まるが、芯が強く振れない存在で有りたかった。

家庭環境について今更長々と書くつもりはないが、生まれてからずっと全て演じていたしそれは今も変わらない。家の中でも外の世界でも内面や事情を一切明かさずに死ぬまで抱え込んでやり過ごせばいいと思っていた。色々あり精神が完全にやられて食事もできずに寝たきり生活をしていた頃にインターネットで自分のことを書くようになってしまったが、それ以外は昔のままだし一生これを続けると思う。ただ、もう昔あった完全に殻に閉じこもるというのは難しくなった。

 

 

食事もできず動けなくなった頃のことから話していく。

 

「かわいくなりたい〜」(かわいいものにしか脳が反応しないため)(醜い自分を直視したくなし)(自我の連続性を断ち切りたい)

 

引きこもっていた私はインターネットで怪文書を投稿しながらそう思っていた。性別、わざわざ他人から議題に上げられない限り特に言及することはないし、いついかなる場所もかわいくあるべきだと思っているのでインターネットでは常にこんなだけど私の性別は男性だし、特別性別に対して何かがある訳ではない。普通に男性。そこは自由にやれている。それはそれとして、昔からかわいいものが好きだし女性のパッションに興味があった。

 

 

2年くらい女装をして過ごしていた時期がある。外に出る時は必ず可愛い服を身に纏い化粧をする。それだけ。自分のことを書いていると苦しいし上手く言語化できないので簡潔に述べるが、初めて作ったインターネットのアカウントとは別にネカマ用のアカウントを用意してそういう日常ツイートをしたりもしていた。

 

これ以上掘り下げると人間関係の話になるので今は詳細を省くが、その過程で私がずっと執着していた人と色々あったり、ネカマをしていたら「女の子と一緒に死にたい」と言うメンヘラ女性に好かれて申し訳ないから事情を説明したらそれでもいいから「2年後に一緒に死のうね」と約束をして遊んでいたら数ヶ月で関係が終わるなどがあり、その頃には精神が回復してきたのと他にも色々なことが重なり女装はやめた。今も可愛くありたいし機会があればまた女装をしたいと思っている。ロリータが好き。

 

それ以降は平凡な日常。親に貯金を全額使われてしまったので小銭稼ぐとか、再び人間関係するとか色々していた。

 

 

2023年。今年は本当に最悪な年だと思った。執着していた人間関係が終わってずっと気持ちの整理が付かなくて、精神が落ち着いてからは距離を置いていたツイッターを再開する羽目に。春ごろにアカウントを作った。当然ネカマ。これ以外のインターネットのやり方がわからない。そこで1人の人間と仲良くなり定期的に会ったりもしていたが、徐々に疎遠になった。インターネットをして、そこで苦しくなりまた新たにインターネットをする悪循環。今はそういう状態。その人は性同一性障害でずっと悩んでいて、そのことを打ち明けてくれた。そこから徐々に疎遠になったが何がいけなかったのだろうか。単に人間関係の賞味期限というのもあるがしれないけど。

 

そんなこんなで先日、送られてきた文章を読んで色々考えさせられた。多少なりとも理解というか知識はあるのかもしれないし、私の人生経験的にも話せる部分は多いと思う。それはそうと、このようなことが短期間で重なると珍しいと思う反面、申し訳なさが大きい。インターネット上の私を見て興味を持ってくれた人間にそのままコンテンツとしての私を楽しんでもらうだけで飽きたら消す予定だったが、諸々がありこれは真摯に対応するべきだなと感じて今この文章を書いていたところ。私は貴方が望んでいた存在ではない。ここから先はお任せしますが、一度しっかりとお話してみたいという気持ちはあります。

2023/11/29

お久しぶりです、はてなブログ。このようなことをするのは何度目でしょうか。日記という名目で日々、発生した感情を消費するために限定公開ブログを利用することは過去に何度かありました。

初めは全ての連絡先やアカウントを消して引きこもっていた時期に暴れ回る思考をひたすら言語化して脳を落ち着けるため。この時期は精神が完全に狂っていたのもあり長文を毎日、半年近く書き続けていた気がします。今思えば却って精神状態を悪化させていたかもしれませんが、当時は自分の内面や環境について匿名のインターネットですら発言したことがない状態で精神がパンクしてツイッターを始めた後だったので、二十数年間で溜まっていた自分の感情を吐き出す練習として何かしらは必要だったのかなぁ、と思います。

それ以降は記憶や時系列が朧げですが、ff0の鍵アカウントを作成してひたすら壁打ちをしたり、自分しか見れないブログを不定期で更新、これらを作っては消すというのを繰り返して来ました。

 

自分でこれを言う人間は嘘っぽいなと感じるけど、そんなに人間に対する興味がないのかもしれない。ここで言う「人間」には自分自身のことも含んでいて、自己開示をしてもプラスの何かが発生する訳がないし恥じるべきだと思っている。あまり共感されたくないのかも。実際どうかは置いておいてそういう素振りも嫌。感情に触れられたくないし、他者の感情を感じたくない。例えば自己開示が許される場所があったとしても話したいことはないし、むしろそのような空間では、それが強制されていると感じて苦しくなってしまう。

カウンセリング的なのは小学生の頃に行った児童相談所、中学生の頃に不登校で親に連れて行かれた精神科、狂っていた時期に自分から予約をした精神科の3つで発生したがどれも苦しい思いをしながら環境の情報を事務的に伝えるだけで、感情を伝えたいという気にはなれなかったし、そのためには嘘も厭わなかった。ちょっと着色したり伝えたくないことを隠す程度だが。

さて、このようなことをダラダラと書き続けていてもキリがないし、読みやすい文章を書けるわけではないのでここら辺で一旦、区切る。こういう話はまた今度、機会が掘り下げていこうかな。

 

で、ここまでが前置きなわけで。今までの自分的に「現状は何?」「このブログは?」「ツイッターのアカウントは?」「もうインターネットしないんじゃなかったの?」「誰にも観測されないところで壁打ちだけしてれば?」と思うわけです。実際もうそれすらどうでもいい、というか気にならなくなってきたので開き直ったのかもしれない。

大体文章を書く時って観測される前提で考えてしまうので読む層に合わせてフィルターを介してしまうし、これはどうやっても避けられない。極端な表現だけど誰かに見られてる時点で言葉は嘘に近くなる。だから本当に感情を吐き出したいなら自分しか見えない場所で独り言を壁打ちし続けるしかないし、それが1番気楽。一生それを続けるべきなんでしょうけど、それができるような人間ならきっと生まれてから死ぬまで誰にも自分の内面を開示せずに生きられたし、本来は死ぬまでそうする予定だった。

何をどうしたいのか正直わからないけど、わざわざ人との関わりが発生することを最近やっているので、恐らくはそういうことらしい。今は実家にいるので、何もしなければ家族(という表現が嫌いだが便宜上)以外と関わることがない生活を送れるし生活が破綻するまで、これを繰り返して誰にも観測されないことも可能だが数日でこれなので悔しい。

というわけで折り合いを少しずつつけていきましょう。