2023/11/29

お久しぶりです、はてなブログ。このようなことをするのは何度目でしょうか。日記という名目で日々、発生した感情を消費するために限定公開ブログを利用することは過去に何度かありました。

初めは全ての連絡先やアカウントを消して引きこもっていた時期に暴れ回る思考をひたすら言語化して脳を落ち着けるため。この時期は精神が完全に狂っていたのもあり長文を毎日、半年近く書き続けていた気がします。今思えば却って精神状態を悪化させていたかもしれませんが、当時は自分の内面や環境について匿名のインターネットですら発言したことがない状態で精神がパンクしてツイッターを始めた後だったので、二十数年間で溜まっていた自分の感情を吐き出す練習として何かしらは必要だったのかなぁ、と思います。

それ以降は記憶や時系列が朧げですが、ff0の鍵アカウントを作成してひたすら壁打ちをしたり、自分しか見れないブログを不定期で更新、これらを作っては消すというのを繰り返して来ました。

 

自分でこれを言う人間は嘘っぽいなと感じるけど、そんなに人間に対する興味がないのかもしれない。ここで言う「人間」には自分自身のことも含んでいて、自己開示をしてもプラスの何かが発生する訳がないし恥じるべきだと思っている。あまり共感されたくないのかも。実際どうかは置いておいてそういう素振りも嫌。感情に触れられたくないし、他者の感情を感じたくない。例えば自己開示が許される場所があったとしても話したいことはないし、むしろそのような空間では、それが強制されていると感じて苦しくなってしまう。

カウンセリング的なのは小学生の頃に行った児童相談所、中学生の頃に不登校で親に連れて行かれた精神科、狂っていた時期に自分から予約をした精神科の3つで発生したがどれも苦しい思いをしながら環境の情報を事務的に伝えるだけで、感情を伝えたいという気にはなれなかったし、そのためには嘘も厭わなかった。ちょっと着色したり伝えたくないことを隠す程度だが。

さて、このようなことをダラダラと書き続けていてもキリがないし、読みやすい文章を書けるわけではないのでここら辺で一旦、区切る。こういう話はまた今度、機会が掘り下げていこうかな。

 

で、ここまでが前置きなわけで。今までの自分的に「現状は何?」「このブログは?」「ツイッターのアカウントは?」「もうインターネットしないんじゃなかったの?」「誰にも観測されないところで壁打ちだけしてれば?」と思うわけです。実際もうそれすらどうでもいい、というか気にならなくなってきたので開き直ったのかもしれない。

大体文章を書く時って観測される前提で考えてしまうので読む層に合わせてフィルターを介してしまうし、これはどうやっても避けられない。極端な表現だけど誰かに見られてる時点で言葉は嘘に近くなる。だから本当に感情を吐き出したいなら自分しか見えない場所で独り言を壁打ちし続けるしかないし、それが1番気楽。一生それを続けるべきなんでしょうけど、それができるような人間ならきっと生まれてから死ぬまで誰にも自分の内面を開示せずに生きられたし、本来は死ぬまでそうする予定だった。

何をどうしたいのか正直わからないけど、わざわざ人との関わりが発生することを最近やっているので、恐らくはそういうことらしい。今は実家にいるので、何もしなければ家族(という表現が嫌いだが便宜上)以外と関わることがない生活を送れるし生活が破綻するまで、これを繰り返して誰にも観測されないことも可能だが数日でこれなので悔しい。

というわけで折り合いを少しずつつけていきましょう。